◎吸血鬼妄想
女は妙に赤い眼の色をしていた。その赤い眼が、先ほどから俺のことをじっとみている。知らぬふりをしていると、女のほうから俺へ向かって言葉をひとつふたつ、 「アナタ、男の人なのにとっても白い肌をしているのねェ。汚れのないってことは罪深いことよ。アナタを見てると、その何もない肌に跡をつけたくなるの。それでネ、その色は赤じゃなければいけないの」 「お前、やめなさい」 顔の下半分に黒ひげを生やした男が女を諭した。
この男女は夫婦であった。そして俺はその客である。 不案内な土地に地図も持たずに乗り込み案の定道を失った俺がたまたま叩いたドアから顔を覗かせたのが、この黒ひげの男だった。最初は道を尋ねるだけのつもりだった。ところが親切な夫婦は夕食のご馳走とベッドのぬくもりを俺が堪能するまで、家から出さないつもりらしかった。彼らの強い勧めに俺は甘えることとしたが、それが間違いだったのだ。言葉を交わす二人の唇の裏に異様に尖った犬歯をみつけたとき、俺の脳裏をある冷たい予感が過ぎったのである。 突然ふぅと短いため息をもらした女が席を立った。やがて戻ってきた女の両手には、古めかしいラベルの貼られた年代もののワインの瓶があった。渇いたグラスに注がれるのは、妙にとろみのある紅い液体。鼻腔を突く気体には、こころなしか金属質の味がついている。先にグラスをとった主人が、ぞっとするような声で俺を促す。 「さあ客人。食後のワインは如何です?」 「あ、はい。ええと、私は……」 赤い水面から視線を一寸上に移すと、こちらをみつめる同じ色の眼が4つに増えていた。俺の心臓をやすりにかける音だけが、静かな部屋の中に響いていた。
もうそこにはいられなかった。 俺は早々に真っ黒い羽を広げると、後ろの窓に張られた夜の彼方へ、一目散に飛び出していた。
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