◎ルナの棺


ルナは死にました。
或るよく晴れた朝のこと、彼女の短い一生の半分は両親と、もう半分は一人で住んできた小さな家のベッドの上で、ほおとため息をついたかと思うと、もうそれっきり動きませんでした。
初雪のように白かった肌は一層白く骨までもが透き通ってみえるかと思うほど。疫病という名の悪魔は無残にも、その美しい雪の上に何百もの醜い足跡を残しておりましたが、それでもルナの美しさが半減することはありません。鴉の濡羽のように艶を帯びた黒髪は枕から柳の葉のようにゆらゆらと伸び、ベッドの下に向かって垂れています。
ベッドの周りには主治医や看護婦をはじめ、近所の者や彼女を好いていた男たち、そればかりか猫や犬や小鳥までもが集まって、その誰もが瞳を悲しみの塩辛い水で潤ませていました。ルナを死に追いやったものは彼らを恐怖させ、彼女へ近づけさせない理由に十分なものではありましたが、誰一人としてルナを見捨てようとはしなかったのです。
ルナは優しい娘でした。道端で寒さに震える老婆の乞食をみれば買ったばかりのパンとミルクを与え、傷ついた小鳥がいれば自分の家に持ち帰って治るまで面倒をみてやったこともありました。庭には彼女が死の間際まで気にかけていた色とりどりの植物が溢れ、小動物や昆虫たちの憩いとなっていたのです。植物を見に訪れるのは人間も同じことでした。だけれども、その人間の中でも特に若い男と呼ばれる人種は、庭の花よりも家の中に咲くたった一輪の美しい花のほうに興味があったのでした。ルナはその誰にも同じように優しさを振りまきましたが、とうとう誰のものにもなりませんでした。彼女との婚姻を果たしたのは大鎌を掲げた髑髏だったからです。
それから神父が呼ばれ、ルナの痩せた身体は彼女の庭の花とともに棺の中に収められました。ルナの葬儀はあっという間に終わりました。人々のむせび泣きの中、ルナの棺は地中深く掘られた墓地の穴へ納められ、重い土の蓋がされたのです。

その夜、墓守は夜鷹が騒がしいので目を覚ましました。鳥たちのざわめきは墓地のほうから聞こえてきます。
鳥が騒いだのははじめてのことではない。大抵の場合は誰か侵入者があったときだ。墓守は心の中で呟きます。死者の使いである彼らは、墓場を冒涜する存在を許さない。ゆえに不審なものを見つけるとこうして鳴き立てて自分に知らせるのだ、というのが墓守の考えでした。新しい死者を狙った野犬か狼でも現れたのだろうか。或いは亡骸に添えられた貴金属や宝石を狙った墓荒らしだろうか。墓守は今までに幾度か、そうした人間たちを捕まえてきました。いやいや、ともすると新人を歓迎するために身体のない住人たちがパーティでも開いているのかも知れない。今日葬られたのはルナという美しい娘。自分が亡霊だったら是非ともお近づきになりたいと考えるだろう、などと想像すると、墓守は妙に可笑しくなって一人でくすくす笑うのでした
上着を羽織り、ランプと、そして自慢の猟銃を手にすると、墓守は小屋を飛び出しました。長年の仕事からうら寂しい夜の墓場の空気には慣れていたものの、墓泥棒だとしたら油断がなりません。一歩一歩を慎重に踏みしめつつ、墓守はゆっくりと鳥の鳴き声のするほうへ向かいました。案の定それはルナの墓のところでした。すぐ傍の枯れ木の枝にはおびただしい数の夜鷹が止まっていて、なおも溢れたものはルナの墓の上空を円を描くようにして舞っていました。
「こりゃあいったいどうしたことか」
異様な光景を前に墓守は叫びました。するとにわかにルナの墓石が動き出し、まるで土竜が塚を築くときのように、まだ柔らかい土が盛り返されました。土饅頭の先端から突き出たのは真新しい棺でした。棺が勝手に動いているのです。棺はもうすべてが外に出ていました。蓋が風もないのに横へ吹き飛ばされた後、墓守がみたのは美しいルナの亡骸でした。それは青みを帯びた銀の光に包まれています。夜鷹は狂ったように喚いています。呆然と立ち尽くす墓守を前に、ルナの身体は仰向けのまま、鳥たちとともに空へ空へと上がっていってしまいました。

ルナはそのまま見えなくなってしまったのでしょうか。否、そうではありません。彼女の亡骸は今も空に浮かんでいるのです。ホラ、夜になりました。空を見上げて御覧なさい。沢山の夜鷹に囲まれつつ、あばた顔の優しい少女があなたを見下ろしているのに気づくことでしょう。

◎モドル◎