◎真っ赤な蝶


炎天の下でバスを待っていると、一羽の大きな蝶がひらひらと飛んできた。
アゲハチョウでもない、モンシロチョウでもない見たこともないそいつは、大きく開いた翅に太陽の光を透かして、赤い影を揺れるアスファルトに落としながら、こちらへ近づいてきた。今までみたどんな蝶にもない、不思議な真っ赤な色の翅だった。赤い蝶は僕のすぐ目の前を何食わぬ風に通り過ぎていった。
もしかしたら外国から来た珍しい蝶なのかも知れない。僕はバスに乗るはずだったのも忘れて追いかけた。
追っ手の存在を知ってか知らずか、蝶は風に舞う葉っぱのようにゆっくりとジグザグを刻みながら路地裏へ入っていった。僕は被っていた野球帽のつばを右手で掴み、跡を追いかけた。幸い民家の陰に入ったので、辺りは涼しくなった。
古そうな木造の民家が脇に立ち並ぶ小道だった。通り過ぎる風が、どこかの家の風鈴を鳴らしている。ある一軒の玄関先には「金魚売ります」という張り紙があって、その下では発砲スチロールの箱に注がれた水の中で、小さな金魚とメダカがピクンと泳いでいた。蝶の飛んでいく先には生臭い花の匂いがたちこめ、それは歩を進めるたびに強くなったり弱くなったりした。

蝶は塀の向うに消えていった。
見ず知らずの人の家に入ってゆくわけにもいかないので、僕は蝶が出てくるのを待つことにした。ところがいくら待っても、塀の向うからあいつが現れることはなかった。僕は左右を軽く見通した後、塀の板と板の隙間から家の中を覗いた。
さっきの蝶がひらひらと舞っていた。それも一羽だけではなかった。何十という蝶が、あるものは地面や植木に止まり、またあるものは飛びながら、景色を赤く覆い隠していた。否、赤い蝶だけではない。群れの中には僅かではあったが、白い蝶も紛れていた。
蝶は無遠慮にも、家の中にまで入り込んでいた。僕はふと、縁側の開いた障子の向うに人がいるのをみつけた。女の人だ。竹の椅子に身体を埋めて、どうやら眠っているらしかった。半そでから伸びて肘掛を掴んでいる白く細い両腕には、翅を垂直に立てたあの蝶が、一列になって停まっていた。一羽が腕から飛び去ると、入れ替わりに他の一羽がやってくる。白い翅の色をしたその蝶は、女性の腕に停まるや、みるみるうちに他の蝶と同じ色に染まっていった。

慌てて持っていた帽子を被ると、僕は路地の元来た方向へ駆け出していた。

◎モドル◎